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2009年5月

与那国島3

与那国の話の続きです。

ヒアリングの後と最終日の三日目も、少し与那国を見て回りました。まず、与那国で一番大きな集落である租納の近くに、切り立った岩からできた小高い場所があり、そこに登ってみました。

P1000452k そこから見た租納の集落です。これで島最大の集落ですから、やはりこじんまりとしています。この小高い岩場に、異様な詩碑を見つけました。次の写真です。

P1000455k 紀元2603年との日付が書かれているこの詩碑。紀元とは皇紀のことで、初代天皇である神武天皇の即位を元年とする年代の数え方です。2603年は西暦で1943年。戦争の真っただ中にあたります。皇紀2600年には様々な行事が催されたようで、東京帝国大学法学部も、記念の論文集を出しています。その中の論文には、現在の目から見れば極めていかがわしいものも含まれていました。

 この記念碑では、与那国は「南海の防壁」であり、「沈まざる25万トンの航空母艦」であると讃えられています。詩の作者は伊波南哲(いばなんてつ)という人で、石垣島出身の詩人・作家であったようです。詩を詠むのはともかく、いったい誰がこのような碑を作り、当時の島の人々はこれをどう考えていたのでしょうか。また、今の島の人々は、この碑のことをどう考えているのでしょうか。。。

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インフルエンザ休校

 昨日5月18日より、柏原の大学が休校となりました。あっという間にここまでの事態となり、正直驚きました。自分の研究が進むのはありがたいことですが、それでも早く終息してほしいものです。

 昨日は電車で本宿まで行きましたが、電車に乗るのがなんとなくイヤですね。本宿でとある先生に会ったのですが、「どうぜ弱毒だから通常のインフルエンザと同じということになるでしょう」と、とても涼しい顔でした。この大学は大丈夫だろうか?と少し不安になり、HPを見てみて、驚きました。

 「新型インフルエンザ発生による注意事項について(第2報)」という文書には、発生・流行国への渡航の際には大学に知らせよ、体調異変の場合には医療機関に相談せよ、とあります。しかし、

 第一に、熱が出て相談するのは現在のところ、まずは各地の発熱相談センターではなかったでしょうか。その事に一言も触れていないのは、そのことを知らないからでしょうか? 厚生労働省は現在のところ、「医療機関に直接出向くことは絶対しないでください」と言っています。感染拡大を防ぐためです。

 第二に、大学に報告するのは海外への渡航の際だけのようです。何度読んでも、インフルエンザを発症した場合、あるいは疑わしい症状が出た場合、大学に報告せよという記述は見つけることができませんでした! 通常、発熱相談センターの相談内容を大学に知らせるよう要請するはずです。学内での感染拡大をできるだけ早くストップするためです。

 ここで現在意思決定をしている人たちは、周りをキョロキョロ見回して休校にするかどうかを判断しようとしているだけで、自分たちの懐の中で感染者・あるいは疑わしい人が出るかもしれないということを、考えることができないのでしょうか。想像力のなさに慄然とします。このような大学は早晩、

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与那国島2

与那国の続きです。

R0013566k 島の南の道路は、牧場の中を通っています。ので、写真のように、のどかに牛や馬たちが散歩をしていました。道にイロイロ落ちていたのは言うまでもありません。同僚の一人は、天日干しでカラカラに乾いたそれを、「肥料(土壌改良剤?)」としてひろい、持ち帰っていました。まあ国内ですから、飛行機の検疫でもひっかからないのでしょうけれど、、、、。

R0013580k そこからさらに先に進むと、Dr.コトーで使われたロケ地があります。私はこの番組はまったく見ませんでしたが、地域医療の実態がそれほど牧歌的でないことは、前々回の石垣の記事で書いたとおりです。

その後、教育委員会、商工会議所でヒアリングを行いました。堅苦しい話になるので省略ですが、現在、台湾との交流事業が進みつつあるという話は、興味深いものでした。先週も書きましたが、国内で与那国の宣伝をするよりも、台湾のほうがよっぼど近いのですから、台湾を観光する人の若干でも与那国に足を延ばしてもらえれば、という発想です。成功することを祈ります。

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